托鉢姿に

 毎年この時期、六地蔵さんに笠を被ってもらうのですが、その並ぶ後ろ姿が雲水さん(修行僧)の托鉢でバスを待っていた様子を思い出し懐かしく感じます。
今だから話せますが、仲間同士で成果を競争しあう托鉢は嫌いで、私が引手(ひきて)の時はよく公園で休んでました。だから先輩方からは皮肉を言われ、後輩達からは楽だと喜ばれておりました(笑) それでも1時間くらいはちゃんと歩きましたよ!

道場の修行で何が大事かひとつ選べと言われたら難しいですが、確実に托鉢は和尚さんの中身の人格形成に必要だと思っています。
法事では衣を着てお経を読み上座に座らされ接待を受ける、昨日今日入門したものでも一人前のお坊さんとして丁寧に扱ってもらえ、いつの間にかこれが当たり前と思い込んでしまう。

 そんな甘い我々に世の中の厳しさを教えてもらったのが托鉢なのです。うるさいと水をかけられたこともあります。出ていけと塩をまかれたこともあります。看板袋(〇〇僧堂)を見てご贔屓な道場では無かったのか出した手を引っ込める方、
逆にどんなに暑い日、寒い日、雨の日、雪の日でも必ず玄関先に出て托鉢金を入れてくださる方や配達中にわざわざ車を停めて、暖かい飲み物を差し入れて頂いた方、生花市場でトマト一箱頂いたりもありました。『ホ~」の和尚さんだと手を合わせてくれる小学生達、そのあと囲まれました(--;)
こんなこともありました。先月は全戸、出て来てもらえた町屋が今月には取り壊されて更地になって半年後にはビルが建ったなど、世の中の冷たさ儚さ、人の温かさを身をもって学ぶことが出来、今の自分に役立っていると感じています。
 面白いエピソードもあります。二階から托鉢金が降ってきてあじろ笠を逆にしてキャッチするのに右往左往したり、警察と機動隊が物々しい組の手入れの時にその中を止められることなく平然と托鉢したこともありました。地方の遠征では法要に間に合わなくなり軽トラをヒッチハイクしたこともありました。
昔と違い今の京都は町屋も減り、観光客があふれバス移動も大変で、外国人のカメラチャンスなど雲水さんは非常に托鉢しづらいだろうなと思います。
ちなみに笠は目深にかぶり顔を見せてはいけないのですが、うちの六地蔵さんはたまに笠が浅いやんちゃが何人かいますw