西善寺へようこそ

秩父札所

日本百番観音霊場の秩父三十四観音霊場、その中の秩父札所八番が、西善寺になります。秩父札所の成立は文歴元年(1234)、播磨国 書写山 円教寺(西国札所27番)開山の性空上人ら13人の権者が、秩父を巡暦してここを観音の地と定めたことに由来する。歴史的には室町時代中頃に成立したのが定説である。札所の最も古い資料は「長享二年(1488)秩父観音札所番付」(法性寺蔵)である。この番付では当山は三十一番であった。日本百観音霊場の編成は室町時代の末頃、関東では観音信仰が盛んで、しかも百観音成立の中心地であったため、秩父札所が進んで百観音に組み入れられることとなったようだ。それゆえ地方性を脱却したとされる。「大永五年(1525)西国三十三番・坂東三十三番・秩父三十四番の供養塔」長野佐久市岩尾城址や「天文五年(1536)西国坂東秩父百ヶ所順礼納札」(法雲寺蔵)がその成立を物語る。

秩父札所

 

江戸時代の巡礼(逆打ち八番)

 江戸時代「吾野通り」(現国道299号線)「川越通り」「熊谷通り」の三筋が利用されていました。八番西善寺は「吾野通り」の玄関口にあたり、ここを起点として九番・七番・六番・五番・四番・二番・一番・三番・十番と参拝する「八番始め」という形が古くから一つのコースとなっていました。

 

 

 

 

※八番は末広がりなので旅のはじまりにも縁起が良く また、最近は終い八番で満願の寺にされる方もいらっしゃいます。

江戸時代の巡礼(逆打ち八番)

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